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关于日本演歌是否起源韩国之说的简单考证

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发表于 2007-4-9 16:17:37 | 显示全部楼层 |阅读模式


    提起演歌不得不说日本演歌音乐作曲风格的奠基者古贺政男。1930年,古贺政男使用吉他等乐器作曲,开创出以自己名字命名的“古贺旋律”(古賀メロディー),缔造了整个日本演歌史的根基,其影响一直延伸至今,他甚至还为1963年的《东京奥运会主题曲》谱写了旋律。古贺政男的成名作《苦酒》、《单相思》,同时也一手捧红了演歌史上的第一位巨星——藤山一郎。

    古贺政男在7岁时,因为父亲死亡,离开了家乡,到了朝鲜仁川之后又去了京城,在善隣高等学校(该校现在立有古贺政男的纪念碑)上学。大概就是这个时期,古贺政男吸收了朝鲜的音乐元素,改造揉合了日本演歌吧?!

    如果我们认同这一点的话,这样考证一下古贺政男的经历似乎可以简单的说明日本演歌是受着韩国演歌的影响,这一点似乎也是不奇怪的,日本大和民族是一个能够高明的使用舶来品的民族~

    以上只是我简单做的推断而已,抛砖引玉希冀高人指点一二~  



[ 本帖最后由 kazumasa 于 2007-4-9 16:27 编辑 ]
古賀政男00.jpg
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发表于 2007-4-9 17:02:37 | 显示全部楼层
一个人不可能创造一种文化,充其量他只算个主力

朝鲜謡曲总体上给人的感觉是节奏稍微快一点的,你可以听听这个(我传的),这种味道的日本演歌只有早期(至少40年代前)的才能见到,日本演歌速度狂慢,而且歌手走调的现象时有发生,特别是那些老小子翻唱他们以前唱过的一些东西的时候最为明显,而韩国人唱那种东西基本不会调子HAZURE,而且他们更投入,更具感染力,不知道你听过北朝鲜的音乐没有

http://www.youtube.com/watch?v=pX8w7c-A4A8
 楼主| 发表于 2007-4-9 17:27:14 | 显示全部楼层
原帖由 mamihong 于 2007-4-9 17:02 发表
一个人不可能创造一种文化,充其量他只算个主力

    朝鲜謡曲总体上给人的感觉是节奏稍微快一点的,你可以听听这个(我传的),这种味道的日本演歌只有早期(至少40年代前)的才能见到,日本演歌速度狂慢,而且歌 ...

但是,也是不一定~朝鲜的歌谣我听过,因为我就住在北韩的边境线上,北韩的歌谣早已政治化了,但是依然保持其独有的民族魅力!

    而韩国的歌谣曲我感觉与日本的演歌有着亲戚关系,因为我也听过不少的韩国歌谣,只是可惜我不会韩国语,不知道是何人所唱~

    不过,一种文化确实不可能由一人所创,但是可能由一人集大成的~呵呵
发表于 2007-4-9 18:17:05 | 显示全部楼层
我还以为你是台湾人呢哈哈
发表于 2007-4-10 00:04:15 | 显示全部楼层
根据你的考证,只能证明古贺正男有可能受朝鲜音乐影响。也只是可能而已。
 楼主| 发表于 2007-4-10 08:39:56 | 显示全部楼层
原帖由 zaar 于 2007-4-10 00:04 发表
根据你的考证,只能证明古贺正男有可能受朝鲜音乐影响。也只是可能而已。

似乎可以这么说,但是要知道如果认同古贺正男的话,或者认同日本人同朝鲜人有某种血缘关系的话,亦可以认为日本音乐受朝鲜音乐的影响~
发表于 2007-4-10 08:42:06 | 显示全部楼层


{轉載再轉載}

演歌(えんか)とは、日本の大衆歌謡ジャンルのひとつであり、日本人独特の感覚や情念にもとづく娯楽的な歌曲の分類であるとされている。歌手独自の歌唱法や歌詞の性向から、同じ音韻である「艶歌」や「怨歌」の字を当てることもある。

特徴

演歌が用いる音階の多くは日本古来の民謡等で歌われてきた5音階が用いられることが多い。西洋音楽の7音階を5音階にするために第4音と第7音を外し、第7音を第5音にすることから、4と7を抜くヨナ抜き音階(ペンタトニック・スケール)と呼ばれる音階法を採ることが多い。この音階法は古賀正男、後の古賀政男1904年明治37年11月18日 - 1978年昭和53年7月25日)による古賀メロディとして定着した、以降演歌独特の音階となる。古賀メロディーについては、初期、クラシックの正統派・東京芸大出身の藤山一郎(声楽家増永丈夫)の声楽技術を正統に解釈したクルーン唱法で一世を風靡したが、やがてそのメロディーは邦楽的技巧表現の傾向を強め、1960年代に美空ひばりを得ることによって演歌の巨匠としてその地位を確立した。小節を利かしながら、それぞれの個性で崩しながら演歌歌手たちが古賀メロディーを個性的に歌った。
歌唱法の特徴としては、小節(こぶし)と呼ばれる独特の歌唱法が多用される。又、必ずと言ってよいほど、ビブラートを深く、巧妙に入れる。演歌歌手(とくに女性)は、日本的なイメージを大切にするため、歌唱時に和服を着用することが多い。
歌詞の内容は“海・酒・涙・女・雨・北国・雪・別れ”がよく取り上げられ、これらのフレーズを中心に男女間の切ない愛や悲恋などを歌ったものが多い。美空ひばり「悲しい酒」、都はるみ「大阪しぐれ」、大川栄策「さざんかの宿」、吉幾三「雪國」など。
上記のような特徴を兼ね備えた、いかにも演歌らしい演歌に対して、「ド演歌」(ど演歌)といった呼称が使われることがある。
また、男女の情愛に特化されたジャンルで、演歌よりも都会的なムード歌謡というものがある。
とはいえ上記の特徴をもってしても、演歌とそれ以外のジャンル(歌謡曲など)を明確に分類することは難しい。ジャズピアニスト山下洋輔は演歌や歌謡曲の全盛期だった1970年代に「演歌もアイドル歌謡も同じにしか聞こえない」と述べていたと言われる(演歌や歌謡曲をけなしているのではなく、音楽理論的に両者を分類することができないという意味)。
男女間の悲しい情愛を歌ったもの以外のテーマとしては、



:D

[ 本帖最后由 karaken 于 2007-4-10 09:32 编辑 ]
发表于 2007-4-10 08:42:35 | 显示全部楼层


歴史
もともと演歌は自由民権運動の産物だった。藩閥政治への批判を歌に託した政治主張・宣伝の手段である。つまり、政治を風刺する歌で、演説に関する取締りが厳しくなった19世紀末に、演説の代わりに歌を歌うようになったのが「演歌」という名称のはじまりといわれる。これ以前にも政治を風刺する歌はあったが、これ以後、演歌という名称が定着する。
しかし時代を経るにつれて定義は変遷し、政治的な内容を含む歌を指して演歌と呼ぶことは現在ではほとんどなくなっている。
明治後半から、心情を主題にした社会風刺的な歌が演歌師によって歌われるようになった。大正になると演歌師の中から洋楽の手法を使って作曲する者も現われた。鳥取春陽の登場である。彼の作曲である『籠の鳥』は一世を風靡した。昭和に入ると、外資系レコード会社が日本に製造会社を作り、電気吹込みという新録音システムも導入され新しい時代を迎えた。演奏家も昭和初期には藤原義江佐藤千夜子二村定一藤山一郎淡谷のり子などの洋楽演奏家が主流になり、演歌師は民衆歌曲の主役を譲ることになった。
戦後に入り、昭和30年代になると、望郷歌謡の春日八郎三橋美智也、浪曲出身の三波春夫村田英雄、泣き節の島倉千代子が登場した。昭和30年代後半になると、北島三郎都はるみ、40年代には水前寺清子森進一五木ひろしなどが登場し、個性豊かな時代を迎え、(ナベプロ所属の歌手に代表される)洋楽指向の歌謡曲と人気を二分した。この頃になると、それまで全般的に流行歌歌謡曲と呼ばれていた大衆歌謡音楽のうち、ヨナ抜き音階や小節を用いたものが演歌と呼称されるようになった。
ただし演歌と歌謡曲との間に明確な分岐ラインが存在するわけではなく、むしろ歌手(およびレコード会社など)が「自分は演歌歌手」と称するかどうかが分かれ目と見る向きもある。例えばグループサウンズ時代、ど演歌節の旅がらすロックを歌った井上宗孝とシャープファイブは演歌歌手には含まれないと見る向きが多い。
1960年代後半になるとビートルズに影響を受けたグループサウンズのブームが起き、1970年代には政治批判的でエレキを持たない歌としてフォークソングが隆盛を見せ、若者の支持を集めた。それに対し演歌はやや陰を潜めたと見る向きもあるが、それと同時に演歌は男女間の情念等を表現する方向に特化していったと見る者もいる。また、昭和50年代にカラオケブームが起こったことや、歌唱力の乏しいアイドルが多くなった反動などで実力派の演歌歌手が台頭し、演歌にも多数のヒット曲が生まれた。
1980年代半ば以降、若者と中高年の聞く歌が乖離していく傾向が強まっていった。テレビの歌番組も中高年向けと若者向けが別々になり、年代を問わず誰もが知っている流行歌が生まれにくい時代となった。演歌が中高年のみの支持に限定されてきたことや、素人がカラオケで歌いやすいことが尊ばれ森進一などのようないい意味で癖のある歌手が実力を発揮しにくくなったことなどから、緩やかな保守化と衰退が始まった。平成に入ると衰退がさらに目立ち、1990年代末には演歌の新曲CDが数十万枚単位でヒットする例は皆無になってしまったと言われる。
しかし2000年大泉逸郎の「孫」や氷川きよしの「箱根八里の半次郎」が大ヒットしてからは復活の傾向を見せており、一時期1人、または2~3人だった大型新人演歌歌手のデビューも毎年4~5人まで増えている。逆にランキング上位を占めていたJ-POP全体の売り上げが低くなるにつれ、相対的にランキングでも上位に顔を出すことが多くなっている。
しかし相変わらず中高年齢層限定のジャンルという認識が強いのは否めない。個性と実力を兼ね備えた大御所、春日八郎・三橋美智也・村田英雄・三波春夫らがすでに亡くなっており、北島三郎や森進一などのインパクトの強い歌手がいなくなると再び大規模な衰退が起こる可能性がある。これからの演歌は、氷川きよし・水森かおり等の若手歌手の力量にかかっていると見る向きもある。

:D

[ 本帖最后由 karaken 于 2007-4-10 09:32 编辑 ]
发表于 2007-4-10 08:43:02 | 显示全部楼层


韓国の演歌(トロット)
[size=90%]出典の明記:この記事や節の内容に関する文献や信頼できる情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします
韓国にもトロットと呼ばれる(昭和に入って民衆歌謡に変節して以降の)日本の演歌に酷似した大衆歌謡分野が存在する。その日本の演歌との酷似ぶりから、「日本統治時代に日本から持ち込まれた」とする説と、「古来朝鮮半島に伝わる民謡を現代風にアレンジしたものが日本にも伝播した」との説が入り乱れており、その源流が日本列島なのか朝鮮半島なのかは確立していない。
ただ、幼年期から青年期に至るまで朝鮮半島で生まれ育った古賀政男が朝鮮文化を享受し、朝鮮民謡のメロディーに感化したいわゆる「古賀メロディー」を創出し、その歌曲技法が広く取り入れられて日本列島・朝鮮半島双方に日本語歌詞・朝鮮語歌詞で多くのレコードが発表され、朝鮮・日本を問わず大ヒットを連発して大いに受け入れられたことから、演歌とトロットは同時発生同時進行の双子の歌謡ジャンルであるとの説が大勢を占める。事実、日本人歌手ディック・ミネが朝鮮語で、朝鮮人歌手小畑実が日本語で歌ったものが両国でヒットするなど、相互通行的な場面が見られた。
戦後朴正煕政権時代までは、トロットを指す言葉として「演歌」の韓国語読みである「ヨンガ」が用いられることも少なくなかったが、後の倭色追放運動によって日本語由来である演歌(ヨンガ)という呼称は使えなくなり、もっぱらトロットと呼ばれるようになった。
その後、1980年代までトロットは興隆を極め、特に1980年代後半には「黄色いシャツ」がフランスでもカバーされるなど、国外でも受け入れられるようになった。日本においても、360万枚の韓国市場最高セールスを記録するとともに日本でもヒットを飛ばしてNHK紅白歌合戦にも出場するなどしたイ・ソンエの日韓両国での成功にともなって、韓国トロット歌手の名が広く知られるようになり、チョー・ヨンピルナ・フナパティ・キムなどのトロット歌手の楽曲が日本でも大ヒットを連発した。日本の演歌歌手による「黄色いシャツ」「釜山港へ帰れ」「カスマプゲ」「別離(イビョル)」などのトロット名曲のカバー合戦が繰り広げられ、第一次韓流ブーム(当時はまだ韓流という言葉はなかった)ともいうべき現象を引き起こしている。その後も現在に至るまで、キム・ヨンジャケー・ウンスクをはじめとしたトロット出身歌手が日本の演歌シーンで多く活躍しており、トロットと演歌の「感性」の近さは広く認識されている。
また電気グルーブ李博士(イ・パクサ)を日本に紹介たことから、トロットを早いテンポの2拍子メドレー形式で歌うポンチャックが、日本でも一時期、そのリズムがテクノファンを中心に、その唱法が演歌ファンを中心としてカルト的に流行した。
1990年代以降の韓国大衆歌謡シーンにおいては、「カヨ」とよばれるいわゆるK-POPが主流を占め、トロットはあくまで中高年ファン限定の一分野に、ポンチャックはおっさんおばさんの下世話な唄という位置づけに押しやられているが、2004年に新進女性トロット歌手チャン・ユンジョンが『オモナ』を大ヒットさせ、十年越しの久々のトロットヒットであると評された。

:D

[ 本帖最后由 karaken 于 2007-4-10 09:33 编辑 ]
 楼主| 发表于 2007-4-10 11:18:20 | 显示全部楼层
原帖由 karaken 于 2007-4-10 08:43 发表


韓国の演歌(トロット)
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韓国にもトロ ...

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