自らの音楽のルーツについて本人が語るところに寄れば、ピアノを習い始めたきっかけは保育園の保育士がピアノで弾いた「エリーゼのために」に感銘を受けたから、とのことである。また、歌の原点としては伯父が、クラシック好きの人で、小学校の時にポール・モーリアのことを教えてもらったことをあげている。当時ポール・モーリア・グランド・オーケストラが来日する度にコンサート(5回から6回)へ行き夢中になった。それ(オーケストレーション)がすごい勉強になり「僕の曲づくりのもとはポール・モーリアである!」と豪語しているという。
中学2年頃から友人と共に楽曲制作を開始。この頃聴いたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』に大きな衝撃を受け、「体の中が全部YMOだった」と語るほど夢中になったと語っている。YMOは、以降の槇原オリジナルの楽曲、特に音作りの部分に多大なる影響を与える。相当影響を受けた様で、テレビで「YMOと出会ってなかったら音楽はやってなかった」と言う程である。後に「君に、胸キュン。」をカバーしていることからもYMOの影響を受けたことが窺える。
当時、制作した楽曲入りのカセットテープを近所のレコード店にたびたび持ち込み、そうした作品が「close to you」という2曲入り300円のテープとして発売されたことがある。これが槇原にとって人生で初めて市販された音楽となった。
ボーカルは、当初は作曲機材の少なさを埋める程度のものと考え、本人は現在のように本格的に人前で唄う仕事よりも作曲家などの裏方仕事を目指していたようである。しかし、後にカーペンターズに影響を受けてボーカルの楽しさにも目覚めた。
大学受験浪人中も音楽活動を続けていた。三浪して当時憧れの存在だった桑田佳祐もかつて在籍していた青山学院大学に入学(槇原は文学部第二部英文学科、桑田は経営学部)したが、のちに芸能活動が忙しくなりやむなく中退した。ラジオ番組において、番組のスポンサーであった駿台予備校を読み上げた際には、「僕、予備校時代には駿台予備校に通っていたんですよ」と語ったこともある。
関西学院大学も3回受験しているが結果は全て不合格。同校を受験した理由は、当時音楽面で影響を受けていた大江千里が卒業した大学だったからと、後に雑誌のインタビューで語っている。なお、槇原はカバーアルバム『Listen To The Music』で大江の「Rain」をカバーしている。
1991年の「どんなときも。」ヒット当時、内村光良(ウッチャンナンチャン)はバラエティ番組ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!において、槇原をデフォルメした「ドンナトキモ槇原」というキャラクターを演じていたことがある。
出身校である高槻市立柳川中学校の先輩には京本政樹、大阪府立春日丘高等学校の先輩に嘉門達夫がいる。嘉門と槇原はどちらが先に年末のNHK紅白歌合戦に出場するかを競い合っていたが、勝負の結果は槇原が1991年初出場、一方の嘉門は翌1992年初出場となり、後輩の槇原が辛くも勝利を納めることになった。
フジテレビ「僕らの音楽2」で美輪明宏と共演した際、覚せい剤事件での謹慎中に美輪の著書『紫の履歴書』を読んで感銘を受けたことを涙ながらに語っている。美輪との関係では、事件以降にリリースしたカバーアルバム『Listen To The Music 2』において、美輪の「ヨイトマケの唄」をカバーしている。
槇原と同じく歌手のaiko共々お互いがファンで、2008年2月放送のHEY!HEY!HEY!にてお互いのメールアドレスを交換したりもしている。
本人は出演のラジオ番組にて麻薬事件を、「常に音楽性の変化(チャレンジ)を求める自分と、ヒット楽曲をコンスタントに求めるレコード会社(世間)とのギャップに悩んだ弱さの結果だ」と語っている。
麻薬事件によるコンサートのキャンセル及びCDの引き上げなどにより多額の負債を背負ったが、「世界に一つだけの花」の大ヒットで全て完済したとされる。
容姿が漫画家のみずしな孝之とよく似ている。みずしなによれば以前あるテレビ局の局内で二人がばったり出会ったことがあり、その際に「よく似てますね」と槇原からお墨付きをもらったという。
尾崎豊が生前に愛用していたベンツを買い取り使用していたことがある。
薬物での逮捕歴がある芸能人の場合、仕事復帰後はそれをタブー化してしまうのが普通だが、槇原の場合は、テレビ番組出演時などもそのことについて隠すことなく話し、それがそのまま放送されていることも少なくない。逮捕という経験が自らの人生観や楽曲に及ぼした影響や、矢野顕子に激励されたエピソードなどを話すことが多い。
自他共に認める汗っかき。ステージは勿論、TV番組などに出演の際も常に手の届く場所にハンカチやハンドタオルを置いている。
好物はエビフライ。元来太りやすい体質なので、体型を気にして普段はある程度節制した量に留めているが、年に1度、「自分に御褒美」と称して“大人買いならぬ大人食い”をする。エビの下ごしらえから油で揚げる調理も自分で行う[10]。他のおかずは必要とせず、白い御飯を片手に心ゆくまで堪能すると言う。
フジテレビ系TV『めざにゅ〜』テーマソングで発売前に開催されていたツアー「"LIVE IN DOWNTOWN"」でも披露されており、2006年10月11日に800円の低価格で発売される予定であり、、同時期には上記のツアーのライブDVD『Noriyuki Makihara in concert "LIVE IN DOWNTOWN"』も発売される予定だった。しかし、当時在籍していたレコード会社東芝EMIからJ-moreに移籍するため、両方とも発売延期となった。DVDは約1年半後に移籍先で発売になったが、シングルは発売されず、アルバム『悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた。』に収録された。 c/wには「5つの文字」と「世界に一つだけの花」の上記のライブバージョンが収録される予定であった。そのライブバージョンはDVD『Noriyuki Makihara in concert "LIVE IN DOWNTOWN"』で確認できる。
その他:
加山雄三トリビュート・アルバム『60 CANDLES』で「お嫁においで」をカバー。
村上"ポンタ"秀一音楽活動30周年記念アルバム『マイ・プレジャー』で「LOVE SPACE」(オリジナルは山下達郎)をカバー。
尾崎豊トリビュート・アルバム『BLUE~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』および2004年4月22日SHIBUYA-AXでのトリビュートライブの模様を収めたDVD『THE NIGHT A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI』 で「Forget-Me-Not」をカバー。
松任谷由実トリビュート・アルバム『Queen's Fellows yuming 30th anniversary cover album』で「春よ、来い」をカバー。
ザ・ビーチ・ボーイズトリビュート・アルバム『Beach Boys Best of Tribute』で「Wouldn't it be nice」、「Good Vibrations」をカバー。
John Lennon生誕65周年記念アルバム『HAPPY BIRTHDAY,JOHN』で「Happy Xmas (War Is Over)」をカバー。
矢野顕子アルバム『はじめてのやのあきこ』で「自転車でおいで」を矢野本人とデュエット。
中島みゆきトリビュート・アルバム『元気ですか』で「空と君のあいだに」をカバー。
ビリー・ジョエルトリビュート・アルバム『WANNA BE THE PIANO MAN』で「Just the way you are」をカバー。
映画『あなたを忘れない』オリジナル・サウンドトラックに主題歌「光~あなたを忘れない」収録。
小田和正トリビュート・アルバム『言葉にできない~小田和正ベストカバーズ~』で「秋の気配」をカバー
このヴァージョンはオリジナルアルバム未収録だが、『SMILING 〜THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA〜』・『10.Y.O. 〜 THE ANNIVERSARY COLLECTION〜』・『槇原敬之 Song Book "since 1997〜‎2001"』・『Completely Recorded』・『Noriyuki Makihara 20th Anniversary Best LOVE』と、活動の節目ごとに発売される編集盤に必ず収録されている。