这就是chiakinaomi的那首“复杂”的名曲:矢切りの渡し了。本来这首歌,收录在上面的EP中,主打歌A面曲,也是船村作曲,石本美由起作词的酒場川;B面才是这只矢切りの渡し。注意哦,这里还是写作:矢切りの渡し,不同于后来細川たかし的:矢切の渡し的写法,虽然意思是一样的;也不同于1982年10月21日ちあきなおみ再发行的矢切の渡し这张单曲。 总之,都将矢切りの渡し改成——矢切の渡し。 看看哥伦比亚官方的介绍: 発売当初「酒場川」のB面になっていたが、これはちあきなおみがこんな暗い歌は辛いので、もう少し明るいものを歌わせて欲しいといった経緯があったそうだ。しかしこの作品は書いた人たちだけでなく、レコーディングのスタッフや、テレビのディレクターや下町の人気大衆演劇一座の座長とその弟にまで惚れ込まれた。そして、テレビ・ドラマの挿入シーンで、この歌をバックに踊った梅沢冨美男が注目され、あの歌は良いという巷の声が広がった。そして細川たかしが「自分の次の新曲はこれにしたい。勝負曲として・・・」と名乗り出て、春日八郎、瀬川瑛子にまで歌われるようになった。ちあきが本家として再評価されたのはもちろんだが、細川はこの年、レコード大賞を受賞した。彼にとっても、しっとりうたうというジャンルの開拓でもあり、記念すべき作品となった。細川の「矢切の渡し」がヒットしたため、ちあきのものも再発売され、その際、細川のタイトルに合せて当初の「矢切りの渡し」が「矢切の渡し」に改めらた。実際の“矢切の渡し”は名所として生き残っている。
关于这首歌,船村曾经都表示很复杂。なおみ首先收录在76年某张单曲的背面,后来改标题后,再82年再发,并没有特别热卖。
82年(上中图)的这张单曲是chiakinaomi在哥伦比亚的最后一张单曲了。之后就转去了VICTOR,开始了香颂等外语歌曲的尝试。83年2月21日,细川发型此单曲的时候,naomi已经转向victor。并在81年1月21日发行了不同风格的作品,实在是一个不断进步的歌者。也许也有这个原因,naomi没有凭借这首歌夺得83的唱片大奖。因为词曲作者都是日本哥伦比亚公司的常青树创作组合。细川也是哥伦比亚的歌手,naomi此时 已经转向了victor。 不过话说回来,时间检验过来,更多人还是对naomi的演绎有口皆碑。觉得她的版本才是王道。我也觉得实然。 naomi再后来转入日本teichiku之后,还在1989年3月21日発売的 男の郷愁这张专辑中,首次第二次录音了这首歌。此时的演绎更是炉火纯青。
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