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[歌曲鉴赏] カルメン・マキ - 私は風

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发表于 2017-3-5 21:46:32 | 显示全部楼层 |阅读模式
本帖最后由 [email protected] 于 2017-3-5 21:52 编辑

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カルメン・マキ(旧本名:Maki Annette Lovelace、1951年5月18日 - )は、神奈川県鎌倉市出身の歌手、ロックミュージシャンである。日本国籍を取得するまでの本名はMAKI ANNETTE LOVELACEであったが、現在の本名は非公表。

1972年には当時18歳であったギタリストの春日博文らとともに「カルメン・マキ&OZ」を結成。メンバーは、春日博文(ギター)、鳴瀬喜博(ベース、後にカシオペア加入)、樋口晶之(ドラムス、元竜童組)。後にベーシストが鳴瀬から、千代谷晃(1stアルバム時)、川上茂幸(2ndアルバム時)へとチェンジしていった。

後に絶対的な評価を受けるグループに成長していくのだが、結成当初は順風満帆とは言えず、所属事務所からはキャバレー回りを強要され、時には客から「こんな曲では踊れない」とビンを投げつけられることもあったと言う。

しかし、こうした地道な活動が実を結び、1974年にポリドールからシングル『午前一時のスケッチ』でデビュー。この時ドラムが内藤正己に替わり、1975年末まで在籍。翌1975年1月にはファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリース。高い音楽性と完成度、そしてマキの歌唱力は高い評価を得、10万枚以上を売る当時のロックアルバムとしては大ヒットとなった。これは、当時のロックが日本の音楽業界ではほとんど相手にされていなかった事を鑑みれば快挙とも言える。また、同年リリースされたサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」とともに、当時の日本のロックの到達点とする評価もある。特にこのアルバムに収録されている約12分にも及ぶ大作『私は風』はのちにさまざまな歌手、ミュージシャンにカバーされ、その中でも特に中森明菜のものが有名である。 1975年5月、グランドファンク・レイルロードの来日公演で競演。

人気・地位を確実なものとしたOZは、1976年にアメリカ合衆国のロサンゼルスでセカンド『閉ざされた町』を四ヶ月かけて制作。ファーストに引き続き『閉ざされた町』や『火の鳥』といった大作路線を継承しながらも風格を漂わせたものに仕上がっている。翌1977年の10月18日新宿厚生年金会館でのステージを最後に解散。その年の12月にはサードアルバム『Ⅲ』を発表。前二作とは打って変わってポップな楽曲が並んだ為に現在まで評価が分かれたものとなっているが、むしろ切々と歌い上げるマキの持ち味が発揮された好盤と言える。 また解散の翌年8月にはシングル盤として『私は風』、そして10月の解散ステージと同年5月の日比谷野外音楽堂のライブ音源を収録した『ライヴ』がリリースされている。

私は風

歌词:あまりに悲しい ことばかりで
どこか遠くへ 旅にでようと
ポケットに 思い出つめこみ
ひとり汽車にのったの

汽車の窓の外を 走りぬける
昨日までの私の にがい人生
もう二度と 戻ることのない
この町ともさよならね

あぁ もう涙なんか 枯れてしまった
明日から身軽な私
風のように 自由に生きるわ
ひとりぼっちも あぁ 気楽なものさ

あぁ 目をとじて 心もとじて
開いた本も とじてしまえ
あぁ 私は風 私は風
終わりのない 旅を続けるの yeah…

あぁ 私を抱いて 気のすむように
抱いたあとで あなたとはお別れよ
どうせ私は気ままな女
あぁ 気ままな風よ

胸の奥深くうす 紫色の霧が流れる
誰か教えてよ 私の行く先を mm…

見知らぬ町の 街角にたち
人波の中漂う私 明日はどこへ 終わりのない旅


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