本帖最后由 hopeyearn 于 2009-10-21 12:47 编辑
プレイバックPart1
作詞 阿木燿子
作曲 馬飼野康二
編曲 馬飼野康二
あれは真夏の出来事でした
今から話すけれど もらい泣きなど
しないで下さいね
「聞いてね」
想い出の中の遠い季節 Play Back
痛みを覚えた若い季節 Play Back
涼しい素振りで私は嘘をついたの
両手の指でも足りない恋のお相手
馬鹿だわそんな事を あの時言うなんて
あれは真夏の出来事でした
あの子の腕の中で愛して愛され
夢みて揺られた日
潮騒を聞いて燃えた恋は Play Back
素肌にやさしく触れた砂よ Play Back
あの夜が初めてだったの 私・・・
続きを聞きたい?私と彼のその後(ご)ね
あれから電話も手紙も来なくなったわ
馬鹿だわ私今も待ち続けているの
あれは真夏の出来事でした
あの時、はしゃぎすぎて
大人の女の素振りをしただけよ
も一度できたら そうよ彼と
Play Back
も一度 会えたら 言うわ 彼に
Play Back
今度こそは素直な心で
「Play Backしたいの」
彼に言うわ
私・・・
[wma]http://www.qupan.com/200902/354226/1703366.mp3[/wma]
看完1位日本歌迷的博文后,令我如梦初觉,重新捡视「プレイバック Part1」。原来早在写自传前,Momoe亦已透过这歌曲去传达其初夜之心情。
根据山口百惠在其自传『苍茫时分』中的自述,在某年盛夏中的一个炎热天,把女子最珍贵的东西,奉献给所爱的男人....三浦友和。
あれは真夏の出来事でした 今から話すけれど
在那个深夏发生的事情,现在开始说了....
聞いてね....
Momoe在开始时的口白.....
听吧!
想い出の中の遠い季節 Play Back
痛みを覚えた若い季節 Play Back
疼痛的感觉?意味些什么呢?相信是指破瓜之际。
虽然是发生在很久之前的季节,而且还是非常年轻,不过仍是念念不忘......
あれは真夏の出来事でした
あの子の腕の中で愛して愛され
夢みて揺られた日
在那个深夏发生的,是在那人的臂弯中,相互爱恋,是梦幻交错的一天!
あれは真夏の出来事でした
あの時、はしゃぎすぎて
大人の女の素振りをしただけよ
在那深夏发生的,便是她成为"大人の女",是真真正正的女人。
今度こそは素直な心で
「Play Backしたいの」
彼に言うわ
私・・・
现在以坦率的心相对,他说想要再"Play Back"
我.....怎么好呢?
「プレイバック Part2」是在1978年5月1日先发行,而「プレイバック Part1」则是随后1978年6月21日发行。换言之,从歌词去分析与推论,山口百惠成为"大人の女"的时候,应是1977年或以前的夏天,而不是在1978年。不过是否如这位日本歌迷所猜测,是在1975年、16岁的时候呢?
愛がひとつあれば
作詞 千家和也
作曲 都倉俊一
編曲 馬飼野康二
ひとり位私みたいな娘が
熱い夏の片隅にいてもいいわ
あなたのする事は正しい事と
あくまで信じる
口をつけた水もあとで飲むわ
目ざわりな指輪なんて欲しくないわ
あなたの眼の前にひれふしながら
泣くのもいとわない
※愛かひとつあれば
罪もひとつある 悲しい事実 愛が深くなれば
罪も深くなる 裁きを受けるわ
誰もみんな一度はこぼす
甘くて苦い淚
ひとり位私みたいな娘が
熱い夏の片隅にいてもいいわ
ふたりのおこないについて答は
あとから出せるはず
(※くり返し)
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「愛がひとつあれば」是9枚目シングル「夏ひらく青春」的B面歌曲,风格上是极为相似,有点象「夏ひらく青春」的"Part 2"或延续篇。不过发行的时间是1975年6月1日,那只是初夏而不是盛夏。所以1975年也是不大可能的。
不过这位日本歌迷的联想,也是有根据,因为2首歌曲都是写同样的事情,描写女生奉献了身体后,忐忑不安与患得患失而有点懊悔的心情。
「プレイバック Part1」中的主人公,象普通人一样,在做了一件懊悔的事情后,总希望可以再重头来过,再"Play Back"一次。而「愛がひとつあれば」的主人公,则在自责之中而充满罪恶感。
愛かひとつあれば
罪もひとつある 悲しい事実 愛が深くなれば
罪も深くなる 裁きを受けるわ
誰もみんな一度はこぼす
甘くて苦い淚
爱上一个人是否有罪?爱得深,罪亦会更深吗?那是悲哀的事实吗?
想不通之际,留流下来的眼泪,是甘苦交杂.....
ひとり位私みたいな娘が
熱い夏の片隅にいてもいいわ
歌词中出现的"熱い夏",亦成为歌迷们另一个联想。根据日本传统性习俗,女孩在15岁后有性行为,是顺理成章的事情。所以不能排除1975年的可能性。
这本书的写作不是作为艺人山口百惠,而是作为一个生活中的人的山口百惠在人生阶段告一段落,是从这个出发点写作的。
“把自己的性都写出来,不好啊!”
“把私生活公诸于众,对你和三浦君都不好啊!”
“百惠的母亲和三浦君的双亲情绪上也不会好吧!”
面对各方的不同意见与压力,山口百惠还是坚持原意,把"山口百惠"的真实面貌写出来.....
若干年以后将要出生的我的孩子,有一天长大成人的时候,我将默默地把这本书交给他。
我将自豪的告诉他:这就是妈妈二十一岁之前的人生啊!我盼望着那一天到来而于此搁笔。
最后,我对始终支持着我的各位表示由衷的——
感谢!
我将获得幸福。
山口百惠
~『蒼い時』/ 山口百惠 ~
[ 本帖最后由 estephenchan 于 2009-3-27 01:28 编辑 ] |