今天向大家推荐的是藤谷美和子的作品。
藤谷美和子是一名颇具个性的女优,除了她脱俗的容貌(不过我个人觉得她的眼神许多时候都空洞得吓人)和演出一系列的电影电视剧,还以经常有异于常人的言行而出名。1994年以31岁的高龄开始歌手活动,第一张与大内義昭duet的单曲『愛が生まれた日』横空出世,获得巨大成功,达成百万销量并上了当年的红白,对女优歌手来说实属罕见。应该说她还是得到了公司的力捧,歌曲的创作大多由秋元康和後藤次利包办(这对组合在八九十年代实在高产得吓人),也tie上了动漫日剧等,可惜后来的成绩不佳,早早地结束了歌手生涯,成为谈及“一发屋”时常常被提到的例子。平心而论,藤谷美和子的歌艺确实平平(音色出奇的黯淡),产量也不高,作为歌手的后劲明显不足,一鸣惊人之后迅速下滑亦属情理之中。
不过每个歌手应该都有适合自己的歌曲类型,今天推荐的这首ドライフラワー也许由藤谷美和子来演绎比较合适。这首歌是她于1994年发表的第二张单曲,词曲作者仍是秋元康和後藤次利。後藤次利这位贝斯手可以说用他天才的作曲和编曲能力把许多偶像歌曲搬上了台面。单曲的封面上藤谷美和子中式旗袍及背景的颜色很好地衬托了这首歌幽情的格调。所爱的人移情别恋,这样的女人和没有生命的干花是相似的,歌手黯淡的声音反而更好地表现出了这种凄然的感觉。歌的意境使我想到了藤谷美和子主演的电影Raffles Hotel(村上龙的作品),她饰演的有些神经质(这算是本色演出吗?)的女优本间萌子抛下事业来到马来亚的密林中找到旧爱,却发现他已经不再爱她,最后飘然离去,亦是一个凄然而无奈的故事。
歌词:
天窓の月が じっとしてるのは
自分ひとりでは 変わらぬ夜のせい
あの人の腕に 誰か 抱かれても
今はこの部屋で 電話を待つだけ
探してはいけない恋と わかってはいるの
愛しさが 相手を 追いつめてしまう
知らず 知らずのうちに
※ドライフラワー
涙は もう 枯れてしまうくらい
泣けたら きっと いいのに…
ドライフラワー
涙は もう 枯れてしまうくらい
時が 過ぎ去れば AHー 花になれる※
めぐり逢う順序で 誰のものなんて
決まるわけじゃない 心は自由よ
今という花瓶の中の 切り花にしても
美しい想いは はかなさに変わる
それが 命あるなら
ドライフラワー
これから もう 永遠になりたい
いつでも そばに ねぇ いさせて
ドライフラワー
これから もう 永遠になりたい
時を 止めたまま Ahー花のままで
(※くり返し)
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