本帖最后由 shyinxiang 于 2012-12-19 19:25 编辑
“稻花香里说丰年,听取蛙声一片!”
每当我想起辛弃疾这句诗,便会想起稻田、农舍、炊烟、与蛙鸣;想起燕子飞时,绿水人家绕的“ 墙里秋千墙外道”;想起似花非花,似草非草的蒲公英,漫天飞舞。
美丽的田园景色让人感到与世无争、宁谧而恬淡,那一片片如歌如吟的蛙声,把夜晚渲染的禅意而虚静,那翩跹飞舞的燕子,让人充满幻想与期待;那雪白蒲公英,小伞儿带着我飞翔,飞翔,飞翔……。
可如此美景,怎么也抵挡不住一位少女对城市霓虹灯、高楼林立的向往,撇下锄头,拿起洋伞,脱下农作服,换上了迷你裙,扔掉了草笠,带着了大红帽子,坐着火车“咻咻噗噗”去了东京。她这一去不要紧,把她心上人的心也带走了,小伙子只好不顾一切地随她而去……。
这首「イヤサカ サッサ」是北原謙二的歌曲,作词作曲不详,也不能算是北原謙二代表作之一,但在台湾的知名度很高,他就是台语歌王黄西田成名作《田庄兄哥》的原曲。
北原謙二本名为北原謙太郎,1939年10月8日出生于日本大阪府, 2005年1月26日午后10時1分,因虚血性心疾患而病逝于东京都内的病院。由于他以前在爵士喫茶店驻唱的缘故,而以身为鈴木栄治とブルーカーボーイズ的成员来到东京,之后被コロムビアレコード的董事发掘,1961年以歌手出道。1991年3月因高血圧症脑内出血而病倒,一边与左半身痲痹奋战,一边加重复健,3年后复归歌坛,以后前往全国各地福祉施设更积极投入慰问活动。
代表曲有『若いふたり』和 『若い明日』等等。『若いふたり』出战1962年12月31日第13回红白歌会;『若い明日』出战1963年12月31日第14回红白歌会。
《イヤサカ サッサ》//《依呀沙咖!沙沙!》
作詞:不詳//作曲:不詳 //昭和30年代
ハー 蛙ッコ ケロケロ鳴く田舎から // 啊!从青蛙「喀喀」叫声的乡下
スダコエ スダコエ あの娘が行くよ // 头也不回、头也不回的
もんべっコも 山ッコへ 置き去りに //「农作服」被弃置在山上,换上了
みじけえスカートに とりかえて //「迷你裙」,那个姑娘,就这样走了
シュシュポンポ シュポンポ // 随着火车的「咻咻噗噗、
汽車ッコに 揺られて // 咻咻噗噗」的行驶声,摇摇晃晃地
東京サ 逢いに行く //哼唱着「依呀沙咖!沙沙」
ハアーイヤサカ サッサで // 要去东京见她
おばこで おばこで // 乡村的小姑娘
ハー つばめッコ すいずい舞う田舎から // 啊!从燕子翩翩飞舞的乡下
スダコエ スダコエ あの娘が行くよ // 头也不回、头也不回的
すげ笠っコも 軒端ッコへ 置き去りに //「草笠」被弃置在屋檐下
真っ赤なシャッポに とりかえて // 換上了大紅色的「帽子」
シュシュポンポ シュポンポ // 随着火车的「咻咻噗噗
汽車ッコに 揺られて // 咻咻噗噗」的行驶声,摇摇晃晃地
東京サ 逢いに行く // 哼唱著「依呀沙咖!沙沙」
ハアーイヤサカ サッサで // 要去东京见她
おばこで おばこで // 乡村的小姑娘
ハー れんげッコ たんぽぽ咲く田舎から // 啊!从长满「莲华草」与「蒲公英」的乡下
スダコエ スダコエ あの娘が行くよ // 头也不回、头也不回的
鍬っコも たんぽッコへ 置き去りに //「锄头」被弃置在蒲公英田里
ちいさい日傘に とりかえて // 换上了小小的「阳伞」
シュシュポンポ シュポンポ // 随着火车的「咻咻噗噗、
汽車ッコに 揺られて // 咻咻噗噗」的行驶声,摇摇晃晃地
東京サ 逢いに行く // 哼唱著「依呀沙咖 !沙沙」
ハアーイヤサカ サッサで //要去东京见她
おばこで おばこで // 乡村的小姑娘
黃西田_《田庄兄哥》
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