1983年、遠藤賢司のレコーディングにキーボードとコーラスで参加したことを契機に、デモテープが細野に注目され、アルファレコードで細野が立ち上げたYENレーベルに移籍。同年、細野のプロデュースによりアルバム『Tutu』を発表。1曲目の「L'Amour Toujours」は、ベルギーのテクノ・ポップ・グループ、テレックスのカバーで、テレックスも全面参加。翌1984年には彼らのサポートのもとヨーロッパ・ツアーも行った。またこの頃から、YMOのオランダ盤を発売するアムステルダムのレコードレーベル、Pick Up Recordsからシングルやアルバムがリリースされ、彼女の楽曲が海外でも評価されるようになった。
1988年から、20世紀初頭のフランス音楽のエスプリを現代に蘇らせるべく、サロンコンサート「Evening Cafe」を企画。その成果は、4年間のサロンコンサートから選曲された2枚のアルバム『La voix de Paris』『希望の泉』として結実する[3]。シャンソンやオールド・ジャズを取り入れたノスタルジック志向を完成させてゆく。