1988年夏、CBSソニーの創立20周年記念コンサート『NEW BLOOD 88-89』に参加。同年末、大沢誉志幸プロデュースのEPIC/SONY10周年記念コンサート『Dance To Christmas』(及び同名のクリスマス・アルバム)への参加で注目を集める。翌1989年夏に『NEW BLOODS』の一員[1]として全国7ヶ所を巡るライブツアー『NEW BLOODS presents Funk a Hips Live Show』に参加。同年10月から音楽番組『ヒットスタジオR&N」』で古舘伊知郎と共に司会を務め、タイマーズのFM東京事件にも立ち会っている(のちに降板)。1991年、アルバム『東京UKIUKI GIRL』発表直後に歌手活動を休業し帰郷。故郷の沖縄に拠点を置いてミュージカルを中心に女優活動を行なう[2]。
1994年初夏に所属事務所とレコード会社を移籍。同年9月、アルバム『Princess Moon』 (メディア・レモラス)を発表し、活動拠点を沖縄に移す。 1996年に芸術家の與那覇朝大と40歳差婚。2003年に作曲家の樋口康雄の依頼で、鉄腕アトムのトリビュートアルバム『MUSIC FOR ATOM AGE』に「GWINKO(吟呼)」で参加。病気で利き手の自由を奪われた夫を支える姿は、琉球放送で2005年3月『與那覇朝大〜妻、吟呼と歩む道〜』として放送された。2006年頃からは「美良樹吟呼(みらい ぎんこ)」名義で首里城の年中行事や「大川(ウッカー)お水取り」の祝女役等で活動している。 2008年7月2日、與那覇が心不全のため74歳で死去、葬儀では妻として喪主をつとめた。