●1952年、沖縄県読谷村に、在日米軍人であったメキシコ系アメリカ人と日本人の母との間に生まれる。出生後まもなく不慮の事故により、全盲となる。又、1歳の時に両親が離婚し、父親は帰国。母親は再婚したため、母方の祖母に育てられる。その際、祖母を母親と、実の母親を姉と言い聞かされながら育てられた。その後自らの境遇を絶望し「将来は両親と助産師を殺害して自分も死ぬ」と考え、井戸へ飛び込み自殺を図ろうとするが友人に助けられ、未遂となるなどの少年時代を過ごした。14才で祖母を亡くし、天涯孤独の身となる。しかし、ラジオから流れてきた賛美歌をきっかけに声楽家と牧師になる事を目指す様になり、沖縄県立沖縄盲学校、東京キリスト教短期大学、西南学院大学神学部専攻科を卒業し、日本バプテスト連盟系教会の副牧師になる。また、当時は聖歌隊としての奉仕も活発に行なっていた。
●西南学院大学在学中にイタリア人ボイストレーナーのアンドレア・バランドーニに「君の声は日本人にはないラテン系の素晴らしい響きをしている」と激賞された。その際自分の出生について語ると、「辛い体験だったと思うが、同時にそれはプレゼントであり、感謝すべきものでもあるのだよ」と言われ、その言葉で両親や助産師を恨む気持ちが癒えたという。
●聖歌隊での実績を元に本格的に歌手活動をしたいと考え売り込みを始めるが、売り込み先から「音大も出てないのに声楽家を目指すとはおこがましい」と馬鹿にされ、屈辱を受ける。しかし音楽への思いを貫き34歳で武蔵野音楽大学に入学、39歳で大学院修士課程修了。チャリティーコンサートなどで歌を披露するようになる。
●2001年、寺島尚彦作詞·作曲の『さとうきび畑』で初のCDを発売した。現在、各地でコンサート活動等を行なっており、澄んだ歌声と逆境を乗り越えた半生、「私は体が楽器みたいなものです。名前が”アラガッキ”というくらいですから」など駄洒落も含むユーモアに富んだ語り口などが人々の共感を呼んでいる。
●スマップの大ヒット曲「世界に一つだけの花」の一節である「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」は、新垣が語り続けてきた言葉である。
●新垣の半生は東京書籍から発行されている、中学2年生用英語教科書「NEW HORIZON」で教材となっている。 題材は、「Try to Be the Only One」