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[歌曲鉴赏] 【每日一曲12.04.30】米米CLUB(石井竜也)/手紙(1994)

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发表于 2012-4-30 02:26:41 | 显示全部楼层 |阅读模式
米米CLUB(こめこめクラブ、英: Kome Kome Club)は、日本の音楽バンド。略称は 米米(こめこめ)、K2Cなど。1982年、文化学院の学生だった石井竜也と小野田安秀、大久保謙作、得能律郎らが中心となり結成され、1985年10月にレコードデビュー。ダンサーチーム「SUE CREAM SUE(シュークリームシュ)」、ホーンセクション「BIG HORNS BEE(ビッグ・ホーンズ・ビー)」、また、多くのサポートメンバーを伴う大所帯バンドである。1997年3月に解散コンサートを行い、活動を停止したが、2006年4月に復活。所属レコード会社は、ソニー・ミュージックレコーズ。公式ファンクラブに「COME COME CLUB」があった(1997年に解散)。

音楽的には、ファンクやニュー・ロマンティック、落語、ロック、歌謡曲、フォークなど、雑多な要素を融合したもので、特に江戸落語の影響を強く受けた石井のステージングは、バンドの個性となっている。また、コンサート中盤に、ジェームス小野田の登場シーンを設定する構成も独特で、毎回工夫が凝らされた小野田の登場は、コンサートのハイライトとなっている。

初期の頃は「米米クラブ」と表記だったが、3rdシングル以降には「米米CLUB」と表記されている。

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藤原明日香 + 25 很给力!

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 楼主| 发表于 2012-4-30 02:27:49 | 显示全部楼层
メンバー:
名前の後の()内は、本名、あるいは米米CLUB以外での活動名。

 楼主| 发表于 2012-4-30 02:30:37 | 显示全部楼层
現メンバー:
KOME KOME CLUB:
ジェームス小野田(小野田安秀) ボーカル、コーラス、ギター、サックス (文化学院時代-解散, 2006年4月- )
カールスモーキー石井(石井竜也) メインボーカル、司会、コーラス (文化学院時代-解散, 2006年4月- )
BON(大久保謙作) バンドリーダー、ベース (文化学院時代-解散, 2006年4月 - )
Be(ベー)(林部直樹) ギター (1990年1月-解散, 2006年4月正式加入- )
ジョプリン得能(得能律郎) ギター、キーボード、鉄腕タヌキ(文化学院時代-1983年1月正式加入-1995年4月, 2006年4月- )
RYO-J(リョージ)(坂口良治) ドラムス (1985年6月-1995年4月, 2006年4月- )
BIG HORNS BEE:
フラッシュ金子(金子隆博) キーボード、サックス、フルート、三味線 (1987年7月-解散, 2006年4月- )
SUE CREAM SUE:
Swing Sue・MARI(マリ)天ヶ谷真利  踊り子、パーカッション、ボーカル
Suzie Sue・MINAKO(ミナコ)金子美奈子  踊り子、振り付け、ボーカル(石井の実妹であり金子の妻)
K2C COUSIN:
「K2C COUSIN」とはサポートメンバーを指す。

MATARO(三沢またろう) パーカッション、コーラス (1990年7月-解散, 2006年8月- )
MACHIKO(シタール・マチコ)(菅木真智子) コーラス(1991年2月-解散, 2006年8月- )
BIG HORNS BEE:
河合わかば(河合伸哉) トロンボーン、サックス(1986年-解散, 2006年4月- )
織田ノボッタ(織田浩司) アルトサックス(1990年7月-解散, 2006年4月- )
フッシー小林(小林太) トランペット(1991年2月-解散, 2006年4月- )
シローブラッキー(佐々木史郎) トランペット(2006年4月- )
脱退メンバー:
ここでは正規メンバー・サポートメンバー共に表記している。

博多めぐみ(坂本琢司) ギター(? - 1988年3月)
マル(丸山龍男) パーカッション(? - 1988年3月)
Sweet Sue&#12539;サトミ(松井聡美〈旧姓:青山〉)<SUE CREAM SUE> ダンサー(1984年 - 1988年3月)
ヒマラヤン下神(下神竜哉)<BIG HORNS BEE> トランペット(1986年 - 解散, 米米CLUB解散後、BIG HORNS BEEより脱退)
K2C COUSIN:
1988年4月には、シュークリームシュが正式にメンバーとなって以来、米米CLUBのメンバーは8人という定義で活動していた。「8」という数にこだわり、1993年にはコンサート「THE 8TH OF ACE」で、デビュー8年目を記念し八角形の武道館で8日間公演を行った。1995年4月、その内2人の脱退を境に、BIG HORNS BEEのメンバーやサポートメンバーも米米CLUBの一員であるというスタンスを取るようになり、正規メンバーとサポートメンバーの区別をやめた。コンサート毎に違うサポートミュージシャンが参加することが度々あった。以降はダンサーも増やしたため、メンバーの入れ替えや増加が激しく、彼ら自身ですら最終的に何人で活動しているのか分かっていないことも多く、石井などはトーク番組で「うちはメンバーが何人いるのかわからない」とネタにしていたほどであった。なお、再結成後は正規メンバーとサポートメンバーの区別を再び行っている。また、定義上は「米米CLUBは8人」だが、現在はこれに林部が正規メンバーに加入し、9人として今に至る。

丘くらら(倉丘孝尚) ギター(1988年 - 1989年)注1
BOSE(大儀見元)パーカッション(1988年 - 1989年)注2
ジュリアーノ奈良部(奈良部匠平) キーボード(1993年1月 - 1994年5月)
コータロー(竹下宏太郎) ダンサー、振り付け(1993年1月 - 解散, 2009年10月- )
シンジ(吉浦進二) ダンサー、コーラス(1995年7月 - 解散)
トシ(高畠俊男) ドラムス(1995年5月 - 解散)
ジュリアーノ勝又(勝又隆一) キーボード(1995年5月 - 解散)

注1)当時サポートメンバーといった位置づけでは無く、オーディションより選ばれ試験的に採用された。出演当時のライブビデオのクレジットには、名前の後ろに「Deshabarism Kenshusei」(デシャバリズム&#12539;研修生)と記載されていた。
注2)正式なサポートメンバーでは無く、ライブのゲストミュージシャンであった。

BIG HORNS BEE:
G.I.GYO&#12539;ロッキー多田(多田暁)<BIG HORNS BEE> トランペット(1986年 - 1988年)
アンデス村田(村田陽一)<BIG HORNS BEE> トロンボーン(1986年)
ビューティー近藤(近藤和彦)<BIG HORNS BEE> サックス(1989年 - 1990年4月)
 楼主| 发表于 2012-4-30 02:34:03 | 显示全部楼层
バンドの前身は、1979年-1981年に活動した「A-Ken」という映画研究会。「米米CLUB」というバンド名は当時人気のバンド「トム&#12539;トム&#12539;クラブ」を、小野田が「コメコメクラブ」と言い間違えたことに周りが大ウケし、「そんなバンドあったら面白いよな」と言い合ったのが発端と言われている。また、石井が冗談まじりに「とにかくダサいバンド名にしようぜ」と主張したという他にも、「雑誌などで注目してもらうため『※※クラブ』と名づけたが『米米クラブ』と誤表記されてしまった」という説もある。

1981年秋のある夜、大久保と小野田の2人は「米米クラブ」という架空のパロディバンドがあると仮定し、その時のノリで『私こしひかり』『奥さん米屋です』『夜泣き米屋』といったオリジナルソング10曲を作り、テープに録音する。しかし、それはほんの軽い遊びであり、以降は2人の記憶から消えていった。1982年3月には、文化学院を卒業。大久保は進学、小野田は就職、石井は街頭パフォーマンスなどをして過ごしていた。だが、1982年10月頃に、大久保と小野田がすっかり忘れていた「米米クラブ」の話を石井がどこからか聞きつけ、「"米米クラブ"ってバンドやろうぜ」としつこく言い出し、しぶしぶ大久保がリーダーとなり、昔の音楽仲間を集め、何とかバンドとしての体裁を整えたのが始まりである。

1982年11月21日に、慶應義塾大学三田祭でオリジナル曲8曲と山本リンダの『狂わせたいの』を披露。その場限りのおふざけバンドのつもりが、観客の好評を得た。メンバーも、ライブに空間的総合芸術の光を感じ、以後ライブハウスで活動を重ね「謎のパフォーマンス集団」などと呼ばれテレビや雑誌にも登場して話題となり、1985年10月21日に、シングル『I&#12539;CAN&#12539;BE』、アルバム『シャリ&#12539;シャリズム』で、CBSソニー(現 ソニー&#12539;ミュージックエンタテインメント)からメジャーデビュー。この頃、シングルやアルバム、雑誌では「米米クラブ」と表記されていた。だが、デビューお披露目ライブ直前にドラマーが脱退し、急遽スタッフが連れてきたcharがドラムを担当することになった。それ以降、charと米米クラブとは親密な仲となっていく。

この当時は、まだ駆け出しの新人バンドだったという事もあってか、楽曲レコーディングの際はプロデューサーの言うことを聞かざるを得ず、自分たちの思い通りに演奏やアレンジをすることが出来なかった。「Paradise」の歌詞が2種類存在したり「sure danse」のアレンジがライブとアルバムで違うのはこのためである。これに関しては、当時メンバーも皮肉を込めて「アルバムはライブとは別物」「ノベルティみたいなもの」などと語っている。

余談だが、フジテレビの冗談画報で「sure danse」のパロディ版「syunou danse」(収納箪笥)を披露。歌詞はもちろん振りつけ有りであった。 ミニアルバム収録の「Paradise」→「parodies」等、後述の“イロモノ”扱いはこういうところにも表れている。

ファンクミュージックをベースとした楽曲や演奏技術、メンバーの音楽センスは、高く評価する声もあったが、奇抜な衣装やメイク、コントのようなMCやキャラクター重視で寸劇混じりの演出などにより、デビュー当初は“イロモノ”として扱われることが多かった。当時、同じソニー系列のレコード会社に所属していた聖飢魔II、爆風スランプと合わせて「ソニー三大色物バンド」と呼ばれていたこともあった。

1987年公開の映画「微熱少年」のダンスパーティーシーンに、当時CBSソニーに所属していたアーティストが数組エキストラとして出演することになり、米米クラブもワン&#65381;カット(特にセリフはない)出演している。

1988年には、シングル『KOME KOME WAR』、アルバム『GO FUNK』が、1989年にはシングル『FUNK FUJIYAMA』、アルバム『5 1/2』が売上ランキング上位に入り、1990年、JALのCMソングに使用された『浪漫飛行』がミリオンセラー。次第にJ-POPバンドとして世間に認知されるようになった。ただ、世間でヒットした所謂売れ線系統の曲だけでなく、マイナーでディープなソーリー曲と呼ばれる楽曲も存在していた。ソーリー曲とは「ふざけた曲を歌っても、すぐに"Sorry"と謝り許してもらおう」「謝ってしまえば何でもあり」というような志向で作られた楽曲群であり、元々は「ウンコ曲」「企画物曲」と呼ばれていた。

ユニークなアルバム&#12539;タイトルが多く、ファーストアルバム『シャリ&#12539;シャリズム』(SHARI-SHARITHM)は、米米CLUBの活動のために立ち上げた個人事務所の名称(SHARISHARISM)でもあり、「米(シャリ)+リズム+&#12316;イズム」の造語。セカンド&#12539;アルバム『E&#12539;B&#12539;I&#12539;S』は、個人事務所(SHARISHARISM)が恵比寿にあることから。他にはもじりを多用し、『KOMEGUNY』はロサンゼルスでレコーディングをしたことから「アメリカ=米国=こめぐに」、『GO FUNK』は「ご飯食う」、『5 1/2』は「5半=ご飯」、『聖米夜』は「精米屋」、『PhiⅡ』は「Fights」、ラスト&#12539;アルバムの『PUSHED RICE』は「押米=おしまい」など、ダブルミーニングなどを多用した凝ったものが付けられた。ファンクラブ名も「米米CLUB」をもじり「COME COME CLUB」(カムカムクラブ)という名前だった。

コンサートも、他のバンドとは位置付けが大きく違い、「音楽を演奏するためのコンサート」というより「エンターテイメントショーのメインが音楽」というスタンスであり、「何よりもライブが活動の中心」という意識を強く持ち続けていた。多くのコンサートで2パターンないし3パターンの演出を準備し、セット&#12539;衣装&#12539;曲目ともすべて違うものを日替わりで行うなど、ショーへのこだわりは徹底しており、リハーサルは本番と寸分違わずに行っていたという。コンサートツアーの度に新曲が披露されたが、最後までレコーディングされず、コンサートでしか聴けなかった曲も多い。初期から演奏していた山本リンダの曲は、最後まで人気が高く、小野田のボーカルで『狂わせたいの』『どうにも止まらない』などをよく演奏していたが、『狙いうち』などは、原曲にはない3番を作詞して歌っていた。

また、ただ観せるだけではなく、石井を筆頭とするメンバーのパフォーマンスにより、観客をショーに巻き込む手腕も一流で、皆がシュークリームシュの振り付けを真似て踊ることも定番となり、アリーナクラスのホールでは壮観な客席風景となった。観客が振り真似などをするコンサートは当時まだ少なく、客席が舞台と一体感を味わうための創意工夫がされたコンサートの先駆けであった。メンバーの衣装を真似て自作しコンサートに着てくるファンも多く、コスプレの先駆けでもあった。それらが話題となり、コンサートのチケットは常に入手困難であったため、家庭用ビデオの普及も背景に、コンサートを収録したビデオの発売が熱望され、後に、映像作品としても評価されるコンサートビデオを制作した。

1992年、フジテレビ月9ドラマ『素顔のままで』の主題歌に『君がいるだけで』が起用され、300万枚近くの大ヒットを飛ばすと、米米CLUBの知名度は一気に上昇し、ファン層は拡大、それ以降の曲は、広いファン層や売上げを意識したものが多くなっていった。彼らの特徴であったコミカルな要素が減り、フロントマンの1人であった小野田の活動は縮小、石井1人がメインボーカルを担当することが多くなった。そうした状況の変化は、これまではバンド活動を中心に行われて来た石井のアーティスト活動が、映画制作や個展といった公の場に移っていった。

そうした状況の変化が原因となってか、1995年には結成当初からのメンバーであった坂口と得能が脱退。米米CLUBの基本的姿勢として、すべての楽曲で「作詞&#12539;作曲(&#12539;編曲) 米米CLUB」とクレジットし、ギャラを全メンバーできっちり等分するというものがあったが、1993年頃から編曲の名義は個人名も出し、石井の映画主題歌などでは石井個人名義でクレジットする、などの行動があったことにより、軋轢が生じたとの見方もある。

2人の脱退をきっかけに、次第にバンド活動に困難が生じ、CDセールスにもその影響は現れるようになる。『JUST MY FRIEND』ではオリコントップ10から大きく外れ、『STYLISH WOMAN』ではオリコン20位以内にすら入らないなどヒット曲が出せなくなり、人気に陰りが見えてくる。翌1996年には一切のライブ活動を行わず、11月に解散の発表がされ、1997年3月5日&#12539;6日に東京ドームで行われた「THE LAST SYMPOSIUM」を最後に解散、以後各々ソロ活動に入った。

2005年6月16日、古くから親交のあるCharの50歳のバースデーパーティーを開催するに当たり、Charの息子であるRIZEのJESSEが、「サプライズで米米をやってほしい」と石井やメンバーに頼み、石井もCharに恩返しするという意味も込めて、久々に演奏することになった。その際バンド名を「米米米CLUB」とし楽曲を演奏。10月21日には、デビュー20周年の日に、ファン投票によるリクエストベストアルバム『米 &#12316;Best of Best&#12316;』がリリース。その頃から、石井がテレビやラジオの番組に出演した際、「米米に関して何か企画している」というような発言が聞かれるようになった。2005年12月には、青山のライブハウスでシュークリームシュの一夜限りの復活ライブが行われ、米米CLUBのメンバーがバンドとして出演した。また、特別ゲストとして小野田が出演し、往年のヒット曲を歌った。

2006年3月21日、石井のソロライブで米米CLUBのマスコットであった「ダブルドリブル」が登場し、「米米CLUB、はじめます!」と宣言。翌日午前0時ちょうどに公式サイトが立ち上がり「2006年4月1日から活動開始」との発表があった。後期にバンドを去った得能と坂口も参加しての再結成となり、当初10月まで期間限定の活動と告知された。もう決して若いとは言えなくなったメンバーたちの「もうひと弾けしたい」という気持ちが再結成につながったという。その後、3ヶ月連続のDVD付きシングル発売、大規模アリーナツアーなどを発表する。各シングルは全てオリコン10位以内を獲得、ツアーチケットも全公演完売するなど、大きな話題となった。

そうした反応にメンバーが手応えを感じ、10月22日、横浜アリーナで行われたツアーの最終日には、石井自ら期間限定を撤回し、活動を継続することを発表した。公式サイトには10月22日付で「米米CLUB」名義の期間限定解除への経緯と解散撤回の決意を示すコメントも載せられ、翌年9月5日には再始動後初となるオリジナルアルバム「komedia.jp」を発売、オリコンチャート10位を記録した。なお、この解散撤回宣言は、「ソロ活動はしない」という意味ではなく、石井をはじめとする各メンバーのソロ活動も継続して行うとしている。

2007年の第58回NHK紅白歌合戦に、第47回以来11年ぶりに出場。

2009年には、10月14日に2年ぶりの最新アルバム「SUNRICE」の発売が決定。全国ホールツアーとしては「a K2C ENTERTAINMENT SHARISHARISM DECADENCE」ツアー以来17年ぶりとなるホールツアー「SUNRICE&#12316;宇宙からの地球編&#12539;地球からの宇宙編」を行い、追加公演として2010年1月に横浜アリーナで「LOVE SUNRICE編&#12539;SUNRICE LIVE編」を行った。また、仙台公演中にカールスモーキー石井の体調不良により、2009年12月に予定されていた大阪公演は、2010年2月に延期となり「宇宙からの地球編&#12539;地球からの宇宙編」で2月5日で千秋楽となった。







 楼主| 发表于 2012-4-30 02:35:32 | 显示全部楼层
書籍:
罪と罪 - 米米クラブ大全集第1回配本 (著者:米米クラブ、1987年7月15日発行、ソニー&#12539;マガジンズ)
車輪の上 - 米米クラブ大全集第2回配本 (著者:米米クラブ、1988年2月20日発行、ソニー&#12539;マガジンズ)
VISUAL ENTERTAINMENT MAGAZINE vol.1 1991 AUTUMN ISSUE(通称:E本)
VISUAL ENTERTAINMENT MAGAZINE vol.2 1992 AUTUMN ISSUE(通称:N本)
VISUAL ENTERTAINMENT MAGAZINE vol.3 1994 AUTUMN ISSUE(通称:T本)
米の器 - 米米CLUB大全集完結編 (1993年6月4日発行、ソニー&#12539;マガジンズ)
DECADE&#12316;カールスモーキー石井の米米十年戦争&#12316; (著者:カールスモーキー石井、インタビュアー:渋谷陽一、1995年2月28日発行、ロッキング&#12539;オン)
アートの祭り (著者:カールスモーキー石井、1994年4月発行、幻冬舎)(タイトルは「後の祭り」とかけている)
一人芸 (著者:米米CLUB、1995年7月9日発行、幻冬舎)
クラブ芸 (著者:カールスモーキー石井、1996年1月31日発行、幻冬舎)
ビラダテ (著者:米米CLUB、1996年3月21日発行、ソニー&#12539;マガジンズ)
THE LOST SYMPOSIUM
SHARISHARISM(写真集)
米米倉庫vol.1(単行本)(著者:米米CLUB、管理人:カールスモーキー石井2006年8月30日発行、TOKYO FM出版)
米米倉庫vol.2(単行本)(著者:米米CLUB、管理人:カールスモーキー石井2006年12月12日発行、TOKYO FM出版)
米米倉庫vol.3(単行本)(著者:米米CLUB、管理人:カールスモーキー石井2007年9月5日発行 TOKYO FM出版)
米米大全 - デビュー前から解散まで、“パチパチ”誌面の“全米米記録”といっても過言ではない本(ソニーマガジンズ発行)
全米 (ZENMAI)(著者:米米CLUB、2006年9月28日発行、ソニー&#12539;マガジンズ)
全米米 (ZENMAIMAI)(著者:米米CLUB、2007年4月21日発行、ソニー&#12539;マガジンズ)
 楼主| 发表于 2012-4-30 02:36:11 | 显示全部楼层
関連アーティスト:
キッド&#12539;クレオール&ザ&#12539;ココナッツ(Kid Creole and the Coconuts) - 93年6月、彼らが米米CLUBの楽曲をカヴァーしたアルバム「KC2 PLAYS K2C」をリリース。同年8月には「K2C to KC2」と題したジョイントライブが3ヶ所7公演で行われている。94年発表のアルバム「KISS ME BEFORE THE LIGHT CHANGES」でも米米の楽曲「Simple Mind」をカバーしている。また同時期、石井が選曲したベストアルバム「SMOKY'S FAVORITE CREOLE JAMS」もリリースされている。さらに、これらに先立つ90年4月に発売されたキッドのCBSソニー移籍第1弾アルバム「Private Waters」の日本盤には、石井からのコメントも寄せられている。
Soma 2006年8月、大ヒットカヴァーアルバム"ESSENCE OF LIFE"第二弾のオープニングで彼らがカヴァーした米米CLUBの浪漫飛行が話題になった。翌年2007年の夏に熊本で行われたKAB主催のラストサマーファンタジーにて、米米CLUBと共演している。
SEAMO シーモネーター時代に米米CLUBの浪漫飛行をサンプリングした「浪漫ストリーム」を2002年4月にリリース。
 楼主| 发表于 2012-4-30 02:37:16 | 显示全部楼层
石井 竜也(いしい たつや、1959年9月22日 - )は、茨城県北茨城市出身の日本のポップミュージシャン、芸術家、プロデューサー、映画監督である。所属事務所は自らが代表取締役社長を務める株式会社ウェルストーン&#12539;ヴォイス。

 楼主| 发表于 2012-4-30 02:37:32 | 显示全部楼层
音楽、舞台美術、空間&#12539;イベントのプロデュース、衣装&#12539;アクセサリー&#12539;食器&#12539;家具等のデザイン、絵画&#12539;オブジェ制作、役者や映像監督等、表現者として多岐にわたり活動している。

文化学院美術科(油絵専攻)卒業。1985年「米米CLUB」のボーカリストとしてデビュー。現在、ソロ活動と並行して米米CLUBとしても活動しており、米米CLUBではカールスモーキー石井というキャラクターとしてステージに立つ。

楽曲制作や年1~3回の全国ツアーに加え、作品展の開催や、プロデューサーとしての仕事も多い。 ライブでは、舞台セット&#12539;衣装&#12539;キャラクター等のデザイン、脚本まで全て自ら行っている。 チャリティー企画に多く賛同し、近年は世界平和や自然保護を趣旨とするイベントに積極的に参加。2002年より、アートで平和を祈念する活動「T.I GRAND PROJECT」を続けている。

愛称は「テッペイちゃん」。身長175cm。現夫人はカナダ東部ハリファックス市出身のカナダ人。ダンサー(芸名 マリーザ)、女優(芸名 石井&#12539;ハナ&#12539;マリーザ)として活動している。2002年に娘が誕生。パピヨンとペルシャ猫を飼っている。 米米CLUBのダンサーで歌手のMINAKO(本名:金子〈旧姓:石井〉美奈子)は実妹。米米CLUBメンバーの金子隆博と結婚したため、金子は義弟となる。 学生時代から落語や映画鑑賞を好んでおり、学生時代に作った映画研究会「A-Ken」が「米米CLUB」の前身と言える。

茨城の実家は、石井製菓という100年以上続く老舗の和菓子屋で、商品化された「ダブルドリブル饅頭」は人気商品となった。現在は閉店しており「アートサロンギャラリー石井屋」 となっていたが、実父の他界後は営業していなかった。更に、2011年の東日本大震災で地震と津波によって全壊した事を、自らの公式HPで明らかにしている。

 楼主| 发表于 2012-4-30 02:39:31 | 显示全部楼层
1959年 - 茨城県北茨城市に生まれ育つ。絵画好きの父(昭雄)の影響で、3歳から油絵の先生による手解きを受ける。
1978年 - 画家を志し上京。お茶の水にある文化学院へ入学。美術科に在籍し油絵を専攻する。史上最年少で日展入選。学生でありながら画商が付く腕前であった。
1982年頃 - 文化学院卒業。その後に街頭パフォーマンスを始める。学生時代に在籍していた映画研究会「A-Ken」のメンバーを中心に米米CLUBを結成(初期は「ドナルド平原」と名乗り、のちに「カールスモーキー石井」と改名、本人談によれば一時期、「カールスモーキー中村」と名乗っていたことがあったらしい)。
アマチュア時代の活動は、「アバンギャルドで理解不能、思考停止必至」と言われており、関東でも有名なアマチュアバンドとなり、1985年にレコード会社13社の争奪の末に、CBSソニー(現ソニー&#12539;ミュージックエンタテインメント)よりデビューした。大手プロダクションに在籍せず、事務所「SHARISHARISM 」を設立。バンド内では、ボーカルや司会としての役割の他に、大多数の楽曲の作詞作曲、舞台セット&#12539;CDジャケット&#12539;衣装&#12539;グッズ等のデザイン、メンバーのメイク等を担当。リーダーBONと共にバンドを総合的にプロデュースする。
1988年 - 1989年 - ビデオクリップ「KOME KOME WAR」「FUNK FUJIYAMA」の監督を務め、アメリカMTVが主催するMTV Video Music AwardsのInternational Video Awardで2年連続グランプリ受賞という快挙を成し遂げる。
1992年 - 米米CLUB「君がいるだけで」で第34回日本レコード大賞受賞。
1993年 - チャリティーグループ「USED TO BE A CHILD」に参加。
1994年
展覧会「石井竜也未来遺跡展」開催。
第1回監督映画「河童」公開。
1995年
8月 和田アキ子のシングル「さあ冒険だ」を作曲し、米米CLUBで編曲も担当。
1996年
第2回監督映画「ACRI」公開。
1997年
3月 米米CLUB解散。ソロ活動を開始。
4 - 5月 “LIVE-A-LIVE”を行う(全5公演)。1部がコンサート、2部がステージで絵を描くアートパフォーマンスという2部構成で行われた。翌年から開始する“ART NUDE”の前身的ライブ。
展覧会「PARALLEL WORLD&#12539;空想美術館」開催。
10月 和田アキ子のシングル「夢」を作詞&#12539;作曲。
10 - 11月 ライブツアー“T-STAGE”(全8公演)
1998年
大阪梅田にある商業施設HEP FIVEの空間モニュメント(巨大赤クジラ)をプロデュース。
2 - 3月 ライブツアー“DRAG-ON&#12316;The Legend of Dragon Slayers&#12316;”(全16公演)
8月 ライブツアー“サアカス少年團&#12316;NATSU NO YO NO YUME&#12316;”(全10公演)
12月 “1998 ART NUDE”を行う(全11公演)。1部がコンサート、2部がステージで絵を描くアートパフォーマンスという2部構成。
1999年
DoCoMoの携帯“K-TI”をデザイン。
長年憧れ続けていた芸術家フンデルトヴァッサーに会いに行き感銘を受ける。
2&#12316;4月 ライブツアー“TRANS &#12316;時間紀行&#12316;”(全27公演)
8月 ライブツアー“EXPO ISHII 1999”(全6公演)
展覧会「昇展」開催。
鈴鹿8時間耐久ロードレース」の総合プロデュースを務める。
12月 “1999 ART NUDE”を行う。(全11公演)
2000年
4&#12316;7月 ライブツアー“DRAGASIA &#12316;Welcome to ASIAN DISCO&#12316;”(全21公演)
12月 “2000 ART NUDE”を行う。(全12公演)
 楼主| 发表于 2012-4-30 02:39:50 | 显示全部楼层
2001年
ノートパソコン“T-NOTE”をデザインし、2001年度グッドデザイン賞を受賞。
3月&#12316;4月 展覧会「ART NUDE EXHIBITION」開催。
3&#12316;5月 ライブツアー“ZERO CITY -HAL- ”(全12公演)
9&#12316;11月 ライブツアー“ZERO CITY -AQI- ”(全13公演)
12月 オーケストラライブツアー“D-DREAM”(全4公演)
2002年
2 - 3月 “2002 ART NUDE”を行う。(全12公演)
元宝塚歌劇団宙組初代男役トップスターで歌手の姿月あさととユニット「MOON STONES」を結成。7月にLIVE&ACT「ツキノイシ&#12539;ケイカク」第一弾として“MOON”公演。(全4公演)
9月 - 11月 ライブツアー“NYLON CLUB &#12316;LET'S GO CABARET&#12316;”(全16公演)
12月 展覧会「NUDE」開催。
アメリカ同時多発テロ事件に強いショックを受け、年末に『平和』をテーマとしたインスタレーション&#12539;イベント“GROUND ANGEL”を横浜赤レンガ倉庫にて開催。
2003年
2月 - 3月 ライブツアー“ISHYST”(全11公演)
6月 「チェンミン&#12539;二胡LIVE 2003“i love”」の総合演出プロデュースを務める。
7月 - 8月 石井竜也×姿月あさと&#12539;ツキノイシケイカク第二弾として“SUN”公演。3メニューで行う。(全29公演)
12月 ライブツアー“羽音”(全9公演)
年末に『平和』をテーマとしたインスタレーション&#12539;イベント“GROUND ANGEL”を横浜赤レンガ倉庫にて開催。
2004年
フォトジャーナリスト広河隆一との対談本「子どもに伝えるイラク戦争」を出版。
難病の子供達を支援する「世界子どもの日スペシャル「笑顔になろう。笑顔にしよう。チャリティーライブ」(日本マクドナルド主催)に参加。
6月 - 7月 ライブツアー“NYLON CLUB DELUXE”(全10公演)
7月 ライブツアー“NYLON CLUB SUPER DELUXE”(全2公演)
11月 - 2005年1月 ライブツアー“SKETCH &#12316;Book of GROUND ANGEL&#12316;”(全19公演)
年末に『平和』をテーマとしたインスタレーション&#12539;イベント“GROUND ANGEL”を横浜赤レンガ倉庫にて開催。
2005年
3月 - 9月 愛知万博のレギュラープログラムの総合プロデュースを務める。
6月5日 第56回全国植樹祭のテーマソング「緑の山」を制作。今上天皇&#12539;皇后臨席の会場にて披露する。
6月 - 9月 デビュー20周年記念ライブツアー“TWO TONE TOUR”(全16公演)2メニューで行う。
9月11日 愛&#12539;地球博 EXPOドームにて“COCOROCK FOREST CONCERT &#12316;透明森の妖精&#12316;”を行う。
10月 展覧会「ART SELECTION at oazo」を丸の内オアゾにて開催。
10月 展覧会「20th Anniversary Exhibition」を開催。作品約100点を展示。
11月 難病の子供達を支援する「世界子どもの日スペシャル&#12539;笑顔になろう。笑顔にしよう。チャリティーライブ」(日本マクドナルド主催)に参加。
11月 - 12月 ライブツアー“COCOROCK FOREST CONCERT &#12316;透明森の妖精&#12316;”(全4公演)
12月16日 - 25日 広島平和記念公園にてインスタレーション&#12539;イベント“GROUND ANGEL in HIROSHIMA”を開催。車椅子を寄付。
 楼主| 发表于 2012-4-30 02:40:23 | 显示全部楼层
2006年
サハダイヤモンド(CAXA)から第1回 SAKHA VIRGIN DIAMOND AWARD 2005 を受賞。
倖田來未とのデュエット曲「KAMEN feat.石井竜也」を発売。
2月 - 3月 ライブツアー“DANCE NYLON &#12316;ナイロンクラブで逢いませう&#12316;”(全5公演)
4月に米米CLUB再結成。ソロと並行して活動を開始する。
世界の子供達へサッカーボールを届けるチャリティープロジェクト YELL FROM NIPPONに参加。
9月 - 10月 米米CLUBツアー“再会感激祭”(全12公演)2メニューで行う。
11月 難病の子供達を支援する「世界子どもの日スペシャル&#12539;笑顔になろう。笑顔にしよう。チャリティーライブ」(日本マクドナルド主催)に参加。
展覧会「Venus White」をお台場のヴィーナスフォートにて開催。ステージセットのオブジェ作品を展示。
12月20日、広島にてコンサート“GROUND ANGEL ORCHESTRA”を行い、広島交響楽団と共演する。
2007年
“GROUND ANGEL in HIROSHIMA”での車椅子の寄付が認められ、紺綬褒章を受章。
アルバム「日時計」リリース。15曲中5曲はロイヤル&#12539;フィルハーモニー管弦楽団と共演。世界で初めて世界遺産ストーンヘンジでの撮影許可を得て、ロケを行い話題となる。
4 - 5月 ライブツアー“SUNDIAL &#12316;日時計のある人生&#12316;”(全7公演)
5月 薬師寺本尊開眼1310年記念「薬師寺Present Tree Live &#12316;音楽の力で森をつくろう&#12316;」に参加。コンサートタイトル「水煙の夢」 を行う。
薬師寺に顔魂作品“太陽”を奉納。
7 - 8月 ライブツアー“HEARTS VOICE LIVE”(全6公演)
8月5日、6日にNHK総合で放送された「平和キャンペーン “核”本当の恐ろしさを伝えます」の司会を務める。
9 - 10月 米米CLUBツアー“再々感激祭”(全7公演)
10月 世界遺産屋久島で自然保護を目的として行われている「やくしま森祭り」に参加。
「やくしま森祭り」は出演アーティスト全員が無償参加している。
12月20 - 31日、東京ビルTOKIAにて行われたアート展「 光のシンフォニーライティング&#12539;オブジェ2007」に参加。オブジェ作品『GROUND ANGEL』を展示。
2008年
1月 - 2月 展覧会「顔魂&#12316;KAODAMA&#12316;」開催。六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーにて、86点の顔魂(=達磨オブジェ)を展示。
3月 - 4月 ライブツアー“PENDULUM”(全5公演)
「赤坂Sacasオープニングスペシャルライブ」にて人形師 辻村寿三郎と共演。
東京ディズニーリゾート25thアニバーサリー&#12539;テーマソング『魔法の鍵 &#12316;The Dream Goes On』の日本語歌詞とプロモーションを担当。
東京ディズニーリゾート25周年記念「プレミアム&#12539;ドリーム&#12539;ナイト」に共演の高杉さと美と共に出演。
近代製鉄発祥150周年記念の広報大使に任命され、同時にシンボルキャラクター「AIRA」のデザインとイメージソングを制作。
8月 「&#12316;音楽で森を作ろう&#12316;Music Tree Live」(前年と同様に薬師寺にて開催)に参加し、コンサートタイトル「月日の塔」 を開催。自然保護などのイベントに多数参加しているが、これらのイベントに関してはDVD化されておらず、ファンからDVD化が切望されていた。
薬師寺内宝聚寶館(じゅほうかん)にて重要文化財を移動させて薬師寺史上初となる展覧会「顔魂&#12316;心の顔&#12316;」を開催(8/23 - 9/7)。約60点の顔魂を展示。
10月 世界遺産屋久島で自然保護を目的として行われている「やくしま森祭り」(10/15日開催)に2度目の参加。
11月 TATUYA ISHII SPECIAL CONCERT 2008 MUSIC TREE LIVE &#12316;月日の塔&#12316;がDVD化され発売された。
12月 2002年より行っている『平和』をテーマとしたインスタレーション&#12539;イベント“GROUND ANGELの一環としてTATUYA ISHII CONCEPTUAL CONCERT TOUR 2008 「GROUND ANGEL&#12316;INORING&#12316;」 東京&#12539;大阪&#12539;名古屋 3都市にて開催。コンサートの収益金の一部をアフガニスタンの子供たちに給水車を届けたいと活動している白鳥晴弘の「プロジェクト&#12539;アフガン 夢に向かって」に寄付された。
東京ビルTOKIAにて行われるアート展(12月19日 - 2009年1月4日迄)LIGHTING OBJET 2008 光のシンフォニーライティング&#12539;オブジェ(LIGHTING OBJET 公式)に平和活動の一環として行っているGROUND ANGEL作品『INORI』を出展。
同アート展開催期期間中の2008年12月19日(金) - 2008年12月31日(水)(10:00 - 22:00)まで東京ビルTOKIAガレリアにて『INORI』展示。
オブジェ『INORI』は音声認識機能が搭載され、オブジェの背面に「平和」と声を掛けると動画等を映し出す仕様となっている。
2009年
1月「 TOKYO DISNEY RESORTサンクスデー」にサプライズゲストとして共演の高杉さと美と共に出演。
2月 作曲に筒美京平を迎えた初コラボ作品「DANCIN IN LOVE」リリース。
雑誌「Grazia」(講談社)にて連載が決定 4月号(2/28発売 - )より連載開始。
「LIVE SDD 2009 飲酒運転の撲滅を誓う10,000人のライブ!!」参加。
3月 アルバム「CHANDELIER」をリリース。作曲に筒美京平を迎えた初コラボ作品「DANCIN IN LOVE」収録。
「CHANDELIER」収録曲「妖精」(作曲:筒美京平)が西鉄電車TV-CMイメージソングに決定(4日 - 福岡地区限定)
5月 ライブツアー“CHANDELIER SCANDAL BLACK ROSE / RED ROSE”(2メニュー 全10公演)
7月「生きる2009」 &#12316;小児がんなど病気と闘う子供たちとともに&#12316; 森山良子 with FRIENDSにゲスト参加。
「ap bank fes '09」(19日(日)出演)へ参加
9月「GREAT 50」(9/22日の誕生日を祝うファンクラブ限定イベント)を開催。コンサートタイトル「SOCIAL MOON SYMPHONY」(全国1カ所/全2公演)を行う。
「水都大阪2009 石井竜也Special Concert」水にまつわるテーマでのコンセプチュアルコンサート開催
10月 「POETIC SOCIAL MISSION」(国際宇宙ステーションと世界14都市を結び生配信)にゲストの一人として参加。
12月 「LIGHTING OBJET 2009」参加。オブジェ作品「TEARS」出展。(12/17 - 28日迄)
「GROUND ANGEL &#12316;ONE DREAM&#12316;」(全国3カ所/全3公演)サブタイトル「NEAR THE TEARS &#12316;子供達の涙の理由を考えてみよう&#12316;」。
全国の養護施設で暮らす子供達を応援する目的で開催。収益金の一部は国内の児童養護施設に寄付された。
ソロ活動と米米CLUBのコンサートツアー等も平行して行われていた為、ハードスケジュールとなり、米米CLUBコンサート中(仙台公演)に疲労が原因で体調不良となり倒れ、プロデビュー以来、初めてコンサートが中止された。予定されていた大阪公演も延期となり、チケット代金の返金希望者には返金対応が行われた。
2010年
1月 阪急三番街Presents「DREAM LIVE 2010」に参加しピーボ&#12539;ブライソンと共演。
2月 中部電力チャリティーコンサート「POWER OF MUSIC」に参加。
3月 東京駅エキナカ「エキュート東京」内の「HINT INDEX BOOK エキュート東京店」にて東京駅限定バージョンを含むGROUND ANGELアイテムを販売。収益の一部は、GROUND ANGEL活動資金としての使用が予定されている。(参加期間:2010年3月28日&#12316;9月末(予定)
4月 FM OSAKAをキー&#12539;ステーションとしてJFN西日本ブロック20局が参加している、交通事故ゼロを目指すキャンペーン「DRIVE & LOVEプロジェクト&#12539;ドライブにはラブがいる」のプロジェクトリーダーとして参加。「音楽のチカラ」によって、メッセージを発信していくオフィシャルキャンペーンソング「安らぎを求めて feat.伊藤由奈」を提供。尚、「DRIVE & LOVE 」は一般からサポートメンバーを募る参加型のキャンペーンとなっており、サポートメンバーに登録すると、ハートレット(チャーム)やステッカーが無料配布される。(先着5000名まで)
フジTVが主催する日本初のエンタテインメント&レストラン「LUNA REGALO(ルナ&#12539;レガーロ) &#12316;月からの贈り物&#12316;」に衣装デザイナーとして参加。東京&#12539;日比谷に設けられた特設シアターレストラン内で行われているサーカスの衣装を担当。「自分に対しても、他人に対しても 愛を持って運転すること!」を
5月 ファンクラブ限定コンサート「HEARTS VOICE ROMANCE」(全8公演)
このツアーの発表時は通常の全国ツアーの予定だったが、シングル及びアルバム発表が「25周年の節目に寄りよい作品を作りたい」との石井の希望により、発売が延期となり、コンサートタイトルが変更され、ファンクラブ限定イベントとなった。コンサートチケットはファンクラブ会員のみ購入可能だが、ファンクラブよりファンクラブ未加入者でもファンクラブ会員がチケットを購入する事で参加可能とアナウンスされており、非ファンクラブ会員でも参加可能となった。
フィーチャリング作品第1弾として若手実力派ヴォーカリスト「K」をフィーチャリングした「OCEAN DRIVE feat.K」(シングル)を発売。
7月 フィーチャリング作品第2弾としてANR(杏里)をフィーチャリングした「THE WAVE OF LOVE feat.ANR」(シングル)を発売。
8月「顔魂 in 京都街中スクエア」開催(期間:2010年7月1日(木)- 8月31日(火))顔魂作品を室町通を中心とした京都街中エリア11カ所にて展示。特別展示として"京の七夕「顔魂&#12316;KAODAMA&#12316;石井竜也展示会」in 世界遺産&#12539;二条城"( 8月6日(金)- 8月15日(日)京都市開催)を開催。
9月 「奈良遷都 1300年際」の一環として薬師寺にてコンサートタイトル「輪廻秋月in 薬師寺」を行う。
フィーチャリング作品第3弾として米グラミー賞アーティスト、PEABO&#12539;BRYSONをフィーチャリングした(ピーボ&#12539;ブライソン)「WALKING feat.PEABO BRYSON」(シングル)を発売。
10月 デビュー25周年記念としてコンサートタイトル「TATUYA ISHII 25th ANNIVERSARY NYLON CLUB GOLDEN CARNIVAL」(全国1カ所/全1公)をソロでは初となるアリーナにて行う。
2011年
1月 阪急三番街Presents「DREAM LIVE 2011」に参加。
      

 楼主| 发表于 2012-4-30 02:41:26 | 显示全部楼层
映画(監督作品):
河童 KAPPA(1994年)
ACRI(1996年)
 楼主| 发表于 2012-4-30 02:45:55 | 显示全部楼层
手紙 (てがみ)は米米CLUBの20枚目のシングル。1994年11月10日発売。発売元はSony Records(現ソニー&#12539;ミュージックレコーズ)。

カールスモーキー石井の初監督映画「河童」主題歌で、c/wは同映画の挿入歌。米米の楽曲はそれまで、印税を等分するなどの意味合いから作詞、作曲のクレジットが全て「米米CLUB」名義となっていた(編曲は外部ミュージシャンを起用することもあって、個人名義のものが多い)が、本作は初めて作詞、作曲とも「石井竜也」と個人名でのクレジットになっている。この時期石井は映画製作以外に個人エッセイ出版や個展開催などの単独活動も行っていた。本作のクレジットもそうした単独志向の反映とされ、演奏にほとんどのメンバーが参加しておらず、「米米CLUB」名義のシングル曲としては1997年の解散までに唯一、オリジナルアルバムに収録されなかった作品である。また、本作でのテレビ出演においては、石井と編曲担当の金子隆博のみの出演であった。なお1997年の解散までの間では唯一となった「HEY!HEY!HEY!」出演も果たしている。

収録曲:
1.手紙【映画「河童」主題歌(1994年)】

2.ひだまり【映画「河童」挿入歌(1994年)】

作詞&#12539;作曲:石井竜也 編曲:金子隆博




 楼主| 发表于 2012-4-30 02:46:40 | 显示全部楼层
チャート最高順位:
6位(オリコン)
 楼主| 发表于 2012-4-30 02:48:09 | 显示全部楼层
本帖最后由 郭银奇 于 2012-4-30 02:49 编辑

河童 (1994年の映画)

「河童」(かっぱ)は1994年12月10日に公開された日本の特撮映画。製作はカッパドキア。配給は日本ヘラルド映画。カラー、ワイド。上映時間は118分。

スタッフ:
脚本:末谷真澄
演出補佐:国重和人
音楽:金子隆博
レコーディスト:中野明
撮影:長谷川元吉
美術:部谷京子
録音:中村淳
照明:森谷清彦
編集:冨田功
チーフ助監督:土岐義将
SFXスーパーバイザー:秋山貴彦
SFXプロデューサー:杉村克之
特殊造形:ビルドアップ
企画協力:LIVE UFO
プロデューサー:河井真也
クリーチャーデザイン、監督:石井竜也

キャスト:
鈴森勇吉:陣内孝則
鈴森雄太:舟越圭佑
戸田勇:原田龍二
村長:坂上二郎
鈴森喜助:今福将雄
茂作:苅谷俊介
節子:木ノ葉のこ
善二:荒木定虎
国定忠治:浜村純
老婆:原ひさ子
農家の男:車だん吉
鈴森雄太:藤竜也

主題歌:
「手紙」 米米CLUB



 楼主| 发表于 2012-4-30 02:53:24 | 显示全部楼层
【石井竜也-手紙】1994年の第45回NHK紅白歌合戦に出場した″
 楼主| 发表于 2012-4-30 02:55:41 | 显示全部楼层
本帖最后由 郭银奇 于 2012-4-30 02:57 编辑

第45回NHK紅白歌合戦は、1994年(平成6年)12月31日にNHKホールで行われた、通算45回目のNHK紅白歌合戦。20時から21時25分および21時30分 - 23時45分にNHKで生放送された。

DREAMS COME TRUE(5) すき&#12316;紅白バージョン&#12316;[1](紅組) VS  米米CLUB(2) 手紙&#12316;紅白バージョン&#12316;[2](白組)




 楼主| 发表于 2012-4-30 03:00:54 | 显示全部楼层
米米CLUBの官网:http://www.komekomeclub.net/
 楼主| 发表于 2012-4-30 03:02:25 | 显示全部楼层
石井大叔の官网:http://www.t-stone.com/
 楼主| 发表于 2012-4-30 03:07:02 | 显示全部楼层
歌曲:手紙
作詞:石井竜也
作曲:石井竜也 
編曲:金子隆博
歌手:米米CLUB(石井竜也)
歌词:
君とはなれて ひとり思う
今は元気 それとも
あの頃のままの笑顔なら
それが 本当にいいね

別れてから ずっと考えてた
「やさしさ」とは何かを
誰のためという理由でもなく
愛は自分の中にある

すべてゆだねては また待ち望み
知らずに時間は流れて
闇にさけんでも
ただ風だけが 心を吹き抜ける

かたすみの記憶さえ この胸を迷わせる

届くあてのない この手紙を
なんども なんども 書きつづけた

あんなに こらえていた恋でも
今となれば 懐かしい
選んだ人だと お互いに
思い込んでたあの日々

 楼主| 发表于 2012-4-30 03:10:00 | 显示全部楼层
 楼主| 发表于 2012-4-30 03:13:17 | 显示全部楼层
【石井竜也-手纸】FNS歌謡祭1994年2月份音乐赏受赏版,欣赏地址:http://v.youku.com/v_show/id_XMzM2MjIyNDIw.html
 楼主| 发表于 2012-4-30 03:17:03 | 显示全部楼层
【石井竜也 手纸】音乐赏受赏版,欣赏地址:http://www.56.com/u72/v_NTE0MDE4NDY.html
 楼主| 发表于 2012-4-30 03:20:53 | 显示全部楼层
1994年底紅白,【石井竜也-手紙】,欣赏地址:http://v.youku.com/v_show/id_XMzcxMDIzOTgw.html
 楼主| 发表于 2012-4-30 03:24:54 | 显示全部楼层
这首歌曲银奇我第1次听的时候感觉一般,但是银奇我第2次听的时候就已经非常非常的喜欢了,最近每天下班回家,银奇我都会听一遍手纸,不听的话心里会难过,可见最近我有多么喜欢手纸了
 楼主| 发表于 2012-4-30 03:26:56 | 显示全部楼层
本帖最后由 郭银奇 于 2012-4-30 03:38 编辑

我刚才为什么说第2次听完这首歌曲的时候,我才觉得这首歌曲很好听咧,意思是说明,这首歌曲的曲调呀等等一些内容比较难懂,需要多听几次,并且听得时候要仔细听才会发现这首歌曲其实是很好听的
 楼主| 发表于 2012-4-30 03:28:18 | 显示全部楼层
如果大家听【手纸】只听1次,并且听得时候不仔细,不认认真真听的话,你会觉得这首歌曲不是很好听″
 楼主| 发表于 2012-4-30 03:30:45 | 显示全部楼层
如果大家听【手纸】这首歌曲,连续播放个3,4次,并且听得时候是很仔细,认认真真听的话您会觉得很好听,手纸是一首神曲(另外听这首歌曲的时候声音最好大一点,声音小的话,歌曲的结尾几秒钟您就会听不到了)″
 楼主| 发表于 2012-4-30 03:32:25 | 显示全部楼层
歌曲的高潮部分,大家能听到2次流水的声音,结尾5秒钟又有1次,1共3次流水声,听这首歌曲的时候声音要高点才能听到流水声″
 楼主| 发表于 2012-4-30 03:37:14 | 显示全部楼层
专辑图片:
手纸2.jpg
手纸1.jpg
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